絵本寺ピー対談

絵本寺ピー対談

絵本寺ピーってなんだろう?

仏教と絵本のコラボレーション。住職の法話と絵本をリンクさせ、お寺がぐっと身近な存在になる絵本の会。その本当の目的は「地域コミュニティの再生」。絵本のチカラで人をつなぎ、全国7万以上あるお寺を核として、地域コミュニティを再生していく壮大なプロジェクト。

対談者紹介
対談者紹介

岡田(以下「岡」):須磨寺の小池陽人さんです。

小池(以下「小」):はい、よろしくお願いします。

子どもの頃の絵本体験

岡:3回目になりましたが、今年(2023年)も須磨寺で「えほん寺ピー」をやらせて頂きました。そこで今日は陽人さんに、ちょっと絵本のことをお伺いしようと思ってます。1回目(2021年)のときだったかな、子どもの頃よく絵本を読んでもらったと仰ってましたよね?

小:そうなんですよ。母親が絵本をものすごく好きだったんですよね。私は4人兄弟の末っ子なんですけど、みんなで一緒に寝るんです。寝る前に必ず母親が絵本を読んでくれてました。

岡:必ず?

小:必ずです。みんなリクエストがあるじゃないですか。そう何冊も読めないので1日1冊みたいな感じで希望の絵本を読んでくれてましたね。

岡:じゃあ、かなり幼いときからですね。何歳ぐらいまでですか。

小:どれぐらいまでか、ちょっとはっきりと記憶は…。
ただやはり兄とか姉がね、大きくなってくるんで、それにつれてそういう読み聞かせはなくなっていったような気がしますね。

岡:だんだん上の子が卒業してしまうから、1人だけのためには読んでくれないんですね。

小:そうですね。でもかなり長いこと、小学校のときも読み聞かせしてもらった気がします。

岡:小学生まで!それじゃあ、かなりしっかりやられていたんですね。あの時(えほん寺ピー1回目)に陽人さんが『おだんごぱん』(ロシアの昔話 せたていじ訳 わきたかず絵 福音館書店)の歌を完璧に歌ったじゃないですか。

小:そうそうそう!

岡:すごく印象に残っています。

小:うちの母親が即興で歌ってました。でもその当時は本当にそういう歌なんだと思い込んでました。大きくなってから「え?あれ作曲してたの」っていう(笑)『ぐりとぐら』(なかがわえりこ作 おおむらゆりこ絵 福音館書店)とか、歌のある本はもう大体即興でオリジナルです。

岡:それを何回も聞かされてたからインプットされてますね。

小:もう兄弟全員が歌えます。

岡:じゃあお子さんに読むときはそのメロディー?

小:完全にそのメロディーになってますよ。

子どもの頃の絵本体験

大人にとっての絵本

岡:子どもの頃はそうやって絵本に馴染んだけれども、その後大人になるとやっぱり絵本から1度離れますよね。

小:離れましたね、全然絵本を読む機会がなくなってしまって。いまは子どもに読み聞かせをするということで、また読むということはありますけどね。

岡:この須磨寺で「えほん寺ピー」なんてイベントをやることになったときに、最初は「いや~絵本?」みたいな感じはありましたか。

小:正直ありました。しかも大人向けのイベントじゃないですか。大人が絵本を読み聞かせしてもらうというのは、発想としてまずなかったですね。子どものためのものというイメージがあるので。だから「えっ?」という感じではありました。

岡:では自分のために絵本を読むということはまずない?

小:ないですね。

岡:お子さんには読んでいたわけですよね。

小:そうです。自分が好きだった絵本を読み聞かせするっていうのはありました。

岡:それは読み手として読んでるっていう感覚なんですね。

小:そうです、そうです。

大人にとっての絵本

絵本セラピーを受けた感想

岡:実際1回目(2021年)に絵本セラピーを受けてみてどうでした?

小:いやもう、本当に感動して。たっちゃんが最初にこう言ってたのをすごく覚えてるんです。「受け取り方は人それぞれでいいんだ」って。グループワークで1人ずつ感じたことを言っていくと、本当に受け取り方が違うんですよね。その違うということを共有するだけで、なんか本当に癒されていく感覚があって、本当にこれはセラピーなんだなっていうことを思いました。

岡:普段絵本に接していない男性などは、絵本を聞かされて「感じたことは?」と言われても「えっ?何を言えばいいの」ってなったりします。自分が何を感じてるかが分からないみたいなところがあって、理性的に絵本の分析をされたりすることも多いんですが、そういう抵抗感はなかったですか?

小:抵抗はなかったですね。私の場合はすんなり入り込めました。

岡:グループの他の方の感想を聞きながら「え、そっち?」みたいなのはありましたか。

小:そうそうそうそう!ぼくはここに感動したのに、あー全然違うんだっていう発見がありました。他の人の感想を聞いて、自分が気づかなかった部分っていうのに気づくと感動がありますね。そうか、こういうところに感動されたんだっていうので、より深くその絵本を感じることができます。

岡:いろんなところで住職と感想のシェアをするんですけども、やっぱり仏教的な解釈をされる……。

小:あ、確かに!いや~もうそれはしょうがないですね(笑)。私なんか特にそうだと思うんですけど、四六時中「法話」になることを探すのが癖になっちゃってるんですね。やっぱりこういう情報があったら、これは仏教的にはこういうふうに捉えるかという思考癖がついてしまってるかもしれませんね。

岡:いやそれがもう新鮮で。なるほど!この絵本をそんな切り口で見るんだ、みたいな事が次のぼくのネタになります(笑)。

絵本セラピーを受けた感想

絵本でコミュニケーション

岡:人と分かち合うことで見えてくるものがあるような気がするんですよね。

小:本当にそう思います。絵本も大事なんですが、絵本セラピーの醍醐味って人と話すところにあると私は思います。人に話を聞いてもらうことができて初めて人の話を聞けるようになる気がしていて、ただ対話をするだけで癒されていくんだと思うんですね。たっちゃんがいつも仰っているように、正解とか間違いとかがないので、その人はその人の感じ方があるんだねって、否定されないあの空間がものすごく安心感あります。今ね、私も含めて多くの人は、こうせねばならないとか、こうでなければならないとか、あるいは、間違っちゃいけないとかのプレッシャーを常に感じてます。仕事の面でも家庭でもそういうプレッシャーを感じてる人が多いと思うんですけど、絵本セラピーのあの空間っていうのは、自分が自分らしくいられる、自分が自分の意見を言える、それが否定されないという、そういう安心感がありますよね。

どちらが勝っても釈迦の恥

岡:絵本セラピーをお寺でやるという意味みたいなのは、どう感じられましたか。

小:そうですね。お寺とか仏教、そして私がしてる法話も受け取り方に正解がないわけなんです。人それぞれが同じ話をそれぞれに受け取っていくのが、絵本セラピーの世界と一緒なんですよね。そういう意味で、正解を求めなくていいお寺という空間で、正解を求めなくていい絵本に触れるのは、より安心を得られるのではないかなと思いますね。

岡:そもそもお経も物語であるっていうのを聞いたときに、すごく通じるなと思いました。絶対的な経典があって「これが正解!」じゃなく、「お釈迦さまはこう言ったよ」っていうのをどう解釈するかみたいなものが、様々なお経という物語として語られてるっていうことなんですよね。

小:そうです。日本だけでもこんなにたくさんの宗派があるというのはその現れでもあって、他の教えを否定してはならないという教えがあるわけです。とはいえ昔から「こっちの教えが正しいんだ」っていう論争が起きるわけですよ。それを宗論(しゅうろん)と言うんですが「どちらが勝っても釈迦の恥」っていうことわざがあります。いま論破っていう言葉がネットなどで盛んに使われていて、言い負かすっていうところにすごく価値を置いているようなところがありますね。でもお釈迦様の教えからすると、言い負かしたところで何も生まれないということです。そういうところが絵本と仏教との大事な共通点かなと思うんですね。

岡:確かに!「釈迦の恥」ってすごく良いですね。仏教との親和性みたいなのをますます感じます。

小:はい、ものすごく感じます。

どちらが勝っても釈迦の恥

お寺の価値

岡:もう1つ「えほん寺ピー」はお寺にいろんな人が来てくれて、その人たちが横に繋がるというところが、すごく良いんじゃないかなと思ってるんです。

小:本当にそう思います。私がお坊さんを目指した理由もそこにあって、いま本当に地域の人間関係は希薄になっているわけですね。それは良い面もあったと思うんです。昔からの近所づきあいの煩わしさとかね。快適になる便利になるという方向に日本社会は突き進んできました。快適というのは煩わしさを取り除くことで、人にとって一番の煩わしさは人間関係なんです。なのでどんどん人間関係を排除していく形で社会が進んできたと思うんです。お金さえあれば人と顔を合わすことなく買い物もできてしまう社会にまでなりました。煩わしさがなくなって、みんな幸せになったかっていうとそうではなくて。例えるなら、無人島で一人ぼっちという孤独とは違うけれど、周りにたくさん人がいるのに何か寂しさを抱えてしまうような。煩わしいのも人間関係だけれども、人生に豊かさをもたらしていたのも人間関係なんだっていうのに気づくと思うんですよね。そうした中でお寺を人と人とが繋がる場というか、もう一度そういう豊かさを取り戻す場にしたいです。

岡:豊かさを取り戻す場としてのお寺ですか。

小:私はサードプレイス(第3の場所)という言葉をよく使います。ファーストプレイス(第1の場所)が自宅。セカンドプレイス(第2の場所)は職場や学校。忙しい現代人はその往復になっています。この二つの場は「ねばならない」という「役割を生きる場」だと思います。家では立派な父親でなきゃいけないとか、職場では立派な上司でいなきゃいけないとか。役割を求められるのは当然なんですが、そればかりになってしまうと本当に息が詰まります。第3の居場所というものがあれば、本来の自分に戻れるし、心安らかになれるんじゃないでしょうか。お寺のこれからの担って行ける価値というか役割がそんな場(サードプレイス)なんじゃないかなと思っています。絵本セラピーも同じだなと思ったんですね。絵本セラピーでの対話は、自分の役割とか肩書とか関係なくて、一人の人間として絵本と向き合って、その絵本をどう感じたかっていうのをシェアして「ねばならない」から解放されます。本来の自分に帰れる場でもあるし、そういう意味でもお寺と絵本は相性がいいと思います。絵本は心のサードプレイスになれるし、お寺は場として空間としてサードプレイスになれるんじゃないかなと。

お寺の価値

地域のサードプレイスに

岡:もうまさにその通りで、絵本セラピーというのはサードプレイスなんです。そういう場を日本中にたくさん作れればいいなと思っているのですが、リアルな空間があるお寺っていうのはバッチリの相性です。

小:本当にそう思います。

岡:名実ともにサードプレイスが出来上がるということです。それにお寺は地域密着ですしね。

小:はい、そうなんです。お寺は7万7000寺あると言われていて、コンビニの数が大体5万5000軒と言われてます。それだけ全国津々浦々にあるお寺の場というチカラをもう一度見つめ直せば、日本が元気になるんじゃないかなと思いますね。

岡:コンビニの前でたむろしてるよりも、お寺行って絵本読もうよと。

小:そうその通り!

岡:本当にそうだと思うんですよね。ただ残念ながら絵本というものが(陽人さんもそうだったように)大人には関係ない子どものためのものっていう、認識がまだまだ強いです。

小:そうですね、自分には関係ないと思ってる大人は多いと思いますね。

サードプレイスを増やすために

岡:これから「えほん寺ピー」でサードプレイスを増やすために、全国のお寺に働きかけていきたいんですが、そういうのを迷ってるというか前向きになれない住職に一言伝えるとしたら?

小:もう正直、場を提供してるだけなんですね。なのにみんなが集まって喜ばれます。お寺の価値って本当に空間・場だと思うんですよ。もうそれだけで価値があるので、それを開放するだけで、いろんな人がお寺の価値に気づいてくれるはずです。まず開放しましょう!絵本を読み聞かせして、ただ感じたことを分かち合う絵本セラピーは、お寺を地域に開放したいんだけどどうすればいいんだろうと思ってる人には特におすすめしたい形です。

岡:あとは場所を貸すだけっていう感覚ではなくて、住職にも入ってもらいたいですね。

小:そうですね。先ほども話したように、仏教と本当に重なるので、絵本は法話だなと思います。絵本で法話をしてもいいんじゃないかなと思いますね。

岡:素晴らしい!これから「えほん寺ピー」が日本中に広がって、サードプレイスが日本中にできるように頑張っていきます。

小:ぜひよろしくお願いします。

岡:ありがとうございました!

サードプレイスを増やすために

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